ケータリングの実力
質疑応答の時間がなかったのが残念であった。
こんな講義に参加するのはそれなりに向上心のある人ばかりであろう。
そんな場で「質疑応答時間なんて作り中卒らしき奴から鋭い突っ込みを受けて恥をかいてはいけないので質問コーナーなんて止めよう」等と考えたのがどうか知らないが参加者にとっては残念であった。
大学側としては学生を確保するための苦肉の案なのかも知れないが「もう一捻り、もう一工夫欲しかったな」というのが中卒の正直な感想である。
しかし、参加者が全員向上心を持った社会人ばかりかと言えばそんなことはなかった。
通路を挟んでオレの横にいたおっさんは終始机に頭をのせてまどろんでいた。
あのおっさんは一体なにをしに来ていたのだろうか?会社から命令でもされて嫌々来ていたのだろうか?おっさんが寝るのは自分の勝手であるし文句を言う筋合いはないのであるが授業中におっさんの携帯が鳴り響いたのには驚いた。
電源を切り忘れたかマナーモードにし忘れたのかよくある話であるが、普通はあんな場所で携帯が鳴るとあわてて切るもんだが何とそのおっさんは電話をとって話をし出した。
授業中に周りの迷惑も考えず携帯で話をするおっさん…。
向上心溢れる社会人の面目丸能れである。
オレはおっさんの携帯を取り上げて数き壊してやろうと思ったが、そんなことをして家に帰って反省サルになっているとヨメに白い目で見られるのがわかっているので我慢した。
中卒だって学習能力ってもんがあるのだ。
こうして2回目の授業も期待外れに終わった。
「まだ後2回ある」オレは希望を捨てることなく懲りもせずに次に期待した。
3回目の教授はベトナム出身の先生だと聞いていたので、お国の経済事情の面白い話が聞けるのではないかと思ったのだ。
特に貯年のアジア通貨危機の話に奥味があった。
アジア通貨危機とはタイの通貨であるパ−ツの暴落がきっかけで起きた事件である。
世界中のマネーがタイの不動産や株に集まり、一斉に逃げ出した。
はてな?どこかで聞いた話である。
そう、日本のバブルと同じことがタイで起きたのパーツの暴落は他のアジア諸国にも飛び火してインドネシアルピアや韓国ウォンも被害に遺った。
これがウルトラ・スーパー簡単なアジア通貨危機の解説である。
タイでそんな事件があったのだから「近所のベトナムもきっと被害があったに違いない」「きっと、その話をしてくれるに違いない」と淡い期待を寄せていたのだがやはりオレの希望は幻と消えた。
4回目の授業はさすがに何の期待もしなかった。
中卒だって学習能力があるのだ。
期待が大きい分だけ弾けた時にショックも大きいのはバブル経済も人間の心も同じだとつまらない、くだらない、退屈な授業は何も教授のボキャブラリーが乏しいのではなく大学側の教育方針なのかも知れないが、あの授業内容が社会に出て生きていく上で何かの役に立つとは到底思えなかった。
オレの子供は違う大学に行かそう。
後日「修了証」が送られて来たが有難くも何ともなかった。
その昔、年号がまだ昭和だった頃の話だ。
でたらめ高校を中退後、縁あって関西地方から一人で広島に移り住んだオレの生活は出鱈目を繰り返していた。
博打にパチンコに金を注ぎ込み一端のギャンプラ−気取りでいた。
仕事中にはカ−ドに花札博打。
仕事が終わればパチンコ屋。
仕事をさぼってパチンコ屋。
当時のパチンコと言えばまだ手打ちの頃で台の釘の打ち方一つで玉の出方が変わるアナログ時代でデジタルパチンコの代表であるフィ1パ!なる機械が出るか出ないかの時期だった。
今みたいにパーラーやアミューズメント等の呼び名ではなくパチンコ屋である。
当然、コーヒーを運んでくれるサービスなどない。
客と言えば怪しいおつきんばかりで女性の姿はまばらであった。
客も怪しければ店員も怪しかった。
どう見ても腔に傷あるおっさんばかりであった。
パチンコ屋の独特の雰囲気とタバコの煙と金欲しさの欲望がオレのキリギリス脳を支配していた。
そんなある日、遊び仲間の紹介で、あるパチンコ屋の社長と知り合った。
全くの偶然だがその社長は当時オレが入り浸っていた店の社長であった。
オレは採み手をして社長にお近づきになろうと企んだ。
なぜか?「あわよくば出る台を教えてもらおう」って魂胆だ。
今にして思えば実に浅はかな考えである。
そんなことを教えてくれるお人好しでは社長なんて勤まる訳ないのだが当時のオレは真剣だったのだ。
そんなオレの想いが天に通じたのかどうか知らないが、いつものように目を血走らせて台を脱んでいるオレのところに社長がやって来た。
そして「今晩、店が引けたら事務所に来い」と言う。
「事務所に来た?」。
かつて仁義なき闘いが繰り広げられたこの街でパチンコ屋の社長が「事務所に来い」と言う。
オレは正直言って行きたくなかった。
なぜか?単純に怖かったからだ。
しかし、行かないともっと怖い気がしたのと、もしかしたら出る台を教えてくれるのではないか、との淡い期待と「何かあればブン殴って逃げてやろう」との思いを胸に事務所を訪ねることに決めた。
夜日時を過ぎた頃、予め教えてもらっていた番号に公衆電話からダイアルをして今から行くことを伝えた。
事務所のドアをノックすると分厚い唇がオレを出迎えてくれた。
幸いなことに事務所の中は唇社長一人であった。
唇社長はオレの関西弁が気になったのか出身や経歴等を根堀葉堀と聞いて来る。
ひとしきり分厚い唇から尋問を投げつけた後、おもむろに事務所の奥にある冷蔵庫並みにデカイ金庫を開け札束を取り出し無造作に机の上に放り投げた。
輪ゴムで簡単に括られた札束は少なく見積もって200万はあったと記憶している。
オレはその金を「くれるのか?」と思っていたが社長の唇の動きはオレの気持ち等無視して止まらない。
「わしの店には毎日これ以上の金が転がり込んで来る」「もうこんな物を見ても金とも思わんのじゃうそしてハスキーな広島弁で「お前もパチンコなんかしちゃあいけんで」と続けた。
パチンコ屋の社長が「パチンコなんかするな」と言う。
今はその言葉の奥にある意味が理解できるが、キリギリス脳に支配された当時のオレには納得いかなかった。
そして「こんな物、金とも思わん」と言いながら机の上に置いであった現金は再び大切そうに金庫に仕舞われた。
その店は道路の拡張工事のために潰されて今はない。
唇社長も今は会うこともない。
なぜ、あの社長はわざわざオレにそんなことを伝えたかったのか今となっては知る術もない「こいつはどこか見所のある奴だ」と思われたのか、それとも「こんなアホは放っておいたら何をしでかすかわからない」と思われていたのかわからないが、その会話がきっかけで自然とパチンコ屋からは足が遠のいた。
机の上に置かれであった札束はもらえなかったがそれ以上のものを手にしたのかも知れない。
あの金庫の中に入っていた金は紛れもなくオレ達客が負けてスッた金だったのだ。
世の中何でも「二つに一つ」でできていると言う。
天と地、男と女、光があれば影があり、表があれば裏もある。
数え挙げればきりがない。
そう考えると人の人生も二つに一つの面がある。
雇う側に雇われる側。
教える側に教えられる側。
食う側に食われる側。
勝ち組に負け組、上流に下流。
現在の日本では中流がなくなり、ある一定の年収や生活スタイルによって上と下に分けられているらしい。
勝ち組、負け組にしたって同じである。
成功して金持ちになれば勝ち組。
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